【mono】スタンドアンブレラ
一応デザイナーなので、デザインアイテムのことでも書くか…。
というか全然更新してないので、ちょっと焦りつつ書いてることは内緒です。
でもデザイナーだからといって、デザイン雑貨や製品をただ褒め讃えるようなことはしません。逆にデザイナーゆえに見る目はシビアで、使えないものはもちろん、自分のライフスタイルに合わないものは一目で判断し、切り捨てます。
名前はスタンドアンブレラといって、名前通り「立つ傘」です。100%というデザインブランドから出ています。
この傘を買った当時は、デザイン系プロダクトのECサイト(Caina.jp)で大ヒットしていて、僕もすごくいいアイデアだなと思ったので、すぐに購入。それまではビニール傘とか、1000円程度の傘しか使ってなかったので、傘に4000円以上かけるのは冒険だな〜なんて思ったけど、今は買ってよかったと思ってます。
メリットは当然、傘が自立すること。
すぐに置いて両手が使えるようになるし、下部のスタンド部分を足で踏んでおけば、電車などの揺れる場所でも大丈夫。
そして、これが隠れたメリットでありながら、最大のポイントだということに持ってから気づいたのが「目立つ」「興味を引く」ということ。プライベートはもちろん、ビジネスの現場でもこの傘を持っていくと、必ずみんなの気を引いて会話に繋がるんだよね。「この傘にそんな効果があるとは…」と買ってから気づきました。
あと使いづらいと感じるポイントももちろんあって、まずは先っぽ部分にスタンドがついているので、普通の傘立てに入らない&店とかの入り口に置いてある傘用のビニールに傘が入らないこと。までも撥水性なので、外で水を切ればそんなに問題はないし、傘立てに置いて盗まれたりするのも嫌なので、そのまま建物の中に持っていくことに抵抗もない。
あとバランス的に仕方ないと思うけど、「ギリギリ立つ」程度の仕様なので、けっこう倒れやすいんだよね。
そんな感じだけど、このアイデアはステキだし、すぐに倒れたりしてもなんか憎めないので、この傘を持って3度目の梅雨を、今年も迎えています。
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移住先探しの旅へ〜
妻が息子をつれて実家に帰ってしまった…。
でも夫婦喧嘩したわけではありません。
例の原発問題で、これ以上息子をリスクにさらしたくないので、とりあえず放射線の危険がない九州へ、1週間だけ疎開させることにしました。
それで様子を見て、いったん東京に戻ったあと、だんだんと生活の基盤を九州に移していこうかなと検討中。までも完全に引っ越してしまうのではなくて、僕と妻は東京と九州を行き来しながら生活することになると思う。
先月の記事に書いたように、いつ災害で住んでいる場所が破壊されるかもわからないし、地震が活動期に入った今、日本中にボコボコ建ってる原発が、いつ福島のようになるかわからない。その時に逃げて行ける街を持っておくことってスゴく大切だと、今回の震災と原発事故で実感したね。
僕ら家族にとっては、まずは今回行った妻の実家である九州。そして東京で生活を始める前に、数年間住んでいたアメリカのフィラデルフィアという街もある。
↑なつかし〜。ここで結婚する前に1年くらい2人で住んでました。
もしも東京がダメになったら、日本がダメになったら、とりあえずそこに逃げればいい。そんな「第二の故郷」「第二の地元」とか、「移住するならココ!」みたいな街がある安心感はかなりいいよ。ホントに。
ということで、この夏、
そんな「移住先候補」を作りに旅に出ませんか?
なんてことを提案したい。
なんか節電で夏休みが長くなるみたいな話もあるし、この際、移住先にしたいような街に、ガッツリと旅行に行ってみてはどうだろう?日本の街にはいつでも行けるから、長い休みがとれるなら外国がいいね。
僕はアメリカのフィラデルフィアの他にも、サンフランシスコやオーストラリアのケアンズやブリスベンなど、旅行したり、滞在したりして、けっこう土地勘がついてて、ここなら逃げていってもすぐに生活を始められるんじゃないか、と思えるような街がいくつかある。
その経験からポイントを書くと…
■好きな街でいい
あまり難しく考えずに、この街いいなぁ、住んでみたいなぁ、って街でいいと思う。それが何よりのモチベーションになるからね。
■都市がいい。田舎は難しい
その上で生活する以上は、ある程度インフラが整ってる都市部がいい。田舎は車が必要だったり、物がなかったりで、外国人として住むのは難しい。僕はミシガン州の田舎町にも1年くらい住んでいたけど、あそこにまた住めるかといったら、多分無理だろう。
■1週間くらい滞在
1週間その街にいれば、たいていのことは覚えるし、土地勘はかなりつく。何も予定がない日を2日以上作ることがポイントね。
■観光よりも生活
忙しく観光しちゃダメ。2日以上は、観光ではなく、生活者になったように、街をぶらぶらして、スーパーに行って食材を買ったり、地元民が行くような公園でのんびりする。あくまで「生活する」ということに主眼を置くこと。観光地ではない、「ごく普通の場所」こそがその街の顔なのだ。そこで過ごすことで、街が身近に感じられるに違いない。
■くまなく歩き回る。
その街を知るには、とにかく歩く。観光地や大通りだけではなく、住宅地やローカルなところも歩けば、等身大のその街を肌で感じることができる。までも外国の街は治安の悪いエリアもあるので、そのへんはご注意を。
■ホテルは3つ星くらいがいい
高級ホテルだと、その街の生活感や雰囲気がわかりづらい。星が2つ以下だと、汚かったり、治安が悪かったりで、清潔な日本人には少し厳しいと思う。だから3つか4つ星くらいのローカル感が漂うホテルがちょうどいいんじゃないかな。アメリカならきれい目のモーテルとかがおすすめ。安くいくならユースホステルという選択肢もあるけど、僕は見ず知らずの人と一緒の部屋とかは耐えられない性格なので無理なのだ…。
■2度行く。
その街が1度行っていい感じだったら、もう1回行ってみる。そうすることで、さらに街が身近に感じられるし、常連になった気分で余裕が出るのだ。季節が違う時に行けば、その街の他の顔も見られていいかもしれない。
そんな感じかなぁ…。
念押しするけど、「観光」はほどほどにね。観光に気合い入れすぎると、観光名所しか見ないで帰ってくることになるので意味がない。学生の時に学校でヨーロッパを巡ったんだけど、その時は急ぎの旅行ツアーのような形だったので、街自体ぜんぜんわからないまま帰ってきちゃったんだよね。逆に何の予定もなしで、一人でぶらっと行ったサンフランシスコは、街の地図から道の名前まで、よく覚えている。やっぱり個人で調べながらある程度長い期間行くのが一番いいね。
そんな感じで、単なる娯楽としての観光ではなく、「移住候補地の視察」みたいな名目で行ったら、けっこう楽しいんじゃないだろうか。
そうすれば、高い旅行費も、「これからの人生」への立派な「投資」になるのだ。ほら、すごいじゃないか(笑
何より、こんな街に住んでみたいなぁ、と思える街に実際住めるかもしれないなんて、夢があるでしょう。これからの時代、災害とか関係なしに、本当に住めるようになるかもしれないんだから、備えることに越したことはない。
21世紀を楽しんでサバイブするために、夢の移住先を探しに行こうじゃないか。
確定申告とかよくわからないならこの本
ホントはこれ4月初めくらいに書こうと思ってたんだけど、震災ですっかり忘れてた。
僕は去年の4月にフリーランスとして活動を始めるにあたり、ずっと気がかりだったのが、税金を含めたお金の諸々のこと。社会人になってからデザイナーとして制作畑を歩いてきたので、その辺のことは素人同然、というか、まるで無知だったのだ。
だから会社の有休消化のうちに、少しは勉強しておこうと思ったものの、多分文字や数字やグラスが載ってる、いわゆる「参考書」だと、途中で飽きそうだなーとか思いながら、探し当てた1冊がコレ↓
フリーランスを代表して 申告と節税について教わってきました。 新品価格 |
ある作家兼イラストレーターの方と、税理士の方の対談のような形でまとめられているので、堅苦しくなくスラスラ読めた。それでいて税金の基本的な部分はもちろん、節税の裏技的なことも書かれていて(ココでは内容は書きません)、なかなか濃い内容なんだな。
この春から独立して、フリーランスでやっていこうと思っている人たち(特に制作系の人たち)は必読…とまでは言わないけど、読んでおいたほうがいいよ。
「ノマドワーカー(Nomad worker)」から「ノマドリバー(Nomad liver)」へ
僕がノマドワーカーという単語を知り、その概念に感動したのは、単にいろんなところをまわりながら仕事をしてみたい、という願望と興味心からだった。そうした働き方のほうが、エキサイティングで面白いと思ったからだ。
しかし今回の東日本大震災&大津波を見て、これは生き方や生活そのものも、早急にノマド化したほうがいいと思うようになった。「ノマドワーカー(Nomad worker)」から「ノマドリバー(Nomad liver)」へ。そんな感じに変化していきたい。
もちろん文字のごとくの「遊牧民」になるのではなく、「生き方の姿勢」や「考え方」みたいなものを、変えていくこと。多くの物を所有し、城のような家に住む。そんな20世紀型の「憧れ」に終止符をうち、いかに物を所有せず、フットワーク軽く動きながら生きていけるかを、追求していきたい。
■津波が教えてくれた限界
↓これ、今回の津波で、一番怖いと思った映像。
5分もたたぬうちに街全体が消滅していく、「DAY AFTER TOMORROW」のような映像を見つつ、「これはもう限界だなぁ、考え方、生き方から変えなきゃなぁ」と思った。
多分、20世紀までは、人間の技術で、ある程度自然に勝てると思っていたに違いない。なぜなら自然に勝つことが前提の豊かさだったから。耐震&免震技術を駆使した家を作り、海には頑丈な防波堤を作る。そんなことをやって、僕らは安心をし、地域に根ざした形で暮らし、物をたくさん所有する道を選んだ。
しかし、結果は映像を見ての通りである。
5分もたたずに全てが海に飲み込まれてしまった。
某都知事の天罰発言ではないけれど、正直、今までの考え方で自然と付き合っていくのはもう無理だと思わざるを得なかったね。地球は温暖化が進んでいると言われるが、温暖化で問題なのは、ただ気温が上がるだけではなく、今まで経験をしたことがない、「想定外」の災害が多発することらしい。もはやそうなってしまっては、「ここまでやれば大丈夫」というボーダーは意味を持たなくなり、人智で災害を防いでいくのは、あきらめたほうがいいかもしれない。
今回みたいに、7メートルの防波堤に14メートルの津波が来たとか、津波の映像を見て一番驚いたのは津波の研究者とか、そんなジョークのような話が珍しくなくなるに違いない。
もう、自然や地球のことを、わかったような気になるのはやめよう。僕らが自然をコントロールするのではなく、自然の都合に僕らが合わせて生きるしかない。まあ当然といえば当然なんだけど。
■僕の好きな遊牧民の発想
オーストラリア大好きな自分が、一番始めに思い浮かべる「遊牧民」が、オーストラリアの先住民「アボリジニ」だ。彼らは定住の場所を持たず、移動しながら生活している。彼らは生きている間のすべてのものは、「神からの借り物」とし、自分たちに与えてくれる大地を「母」と呼ぶ。
また、これはテレビで見たんだけど、東南アジア(場所はどこか忘れた)の民族が、地震で家が壊れたので、新たな家を作っていた。土を固めてできた簡単な家だったので、レポーターが「この家はどのくらい持つんですか?」みたいな質問をしたら、「次の地震が来るまで」と真顔で答えていた。
彼らに共通して言えるのが、「所有」という概念が僕らと全く違うことだ。今持っていても、「いずれなくなる」と知っているので、そこまでこだわりがない。まさに自然とともに生きる上での知恵だろう。
僕らは「自然災害に遭わないように生きてきた」。彼らは逆に「自然のどんな面とも付き合う覚悟と意識で生きてきた」。もちろん僕らが完全に間違ってたわけではない。でも正直限界だから、彼らの考え方をこれから多いに学び、取り入れるべきだと思う。
■所有しない
そう考えると、今まで所有を増やすために必死になってた自分がカッコ悪く感じてくるし、物を溜め込んで暮らすことがどれだけ危険かがわかる。「失いたくない気持ち」が、動くこと、変化することの足を引っ張ることは間違いない。そして失いそうになった時の危機感と、失った時のダメージは甚大。
それを防ぐ、もしくは緩和するためには、考え方を20世紀型から21世紀型(と勝手に決めてる)に変えてしまおう。
「たくさん所有して贅沢に暮らす」
が20世紀はカッコよかったけど、
「最低限のものだけを持ち、自由に動きながら暮らす」
みたいな「変化対応型」が21世紀はカッコイイ(と思ってる)。
言葉を変えれば「自由」ということね。
■軽くいこうぜ!
危ないと思ったらすぐに動ける。そして、自分がこうしたい、こうなりたい、ここに行きたいと思ったら、すぐに行動が起こせる。そんな「身軽さ」がこれからは何よりも大切になってくるような気がしている。
物質的な面と精神的な面の両方を軽くする。高い車や家具やでかい持ち家、そして見栄やプライドみたいな「動きにくくなる重り」をなくす。そして国や地域に縛られず、どこにでも移動できるくらいの「機動力」もほしいところ。20世紀を少しでも生きてしまった僕らにはちょっと難しいかもしれないけど、常に意識して、無駄を捨てていくようにしたい。
それは贅沢しないとか、質素に生きるとか、エコやロハスみたいな、今までの「記号化」されたものとは全くちがう、「自分なりの」動きやすさを追求することね。「贅沢追求社会の成れの果て」を知ってしまった僕らは、次はそっちにシフトしていくと思うし、今回の地震と津波が、「早くそっちに行け」と教えてくれたような気が、少なくとも僕はした。
唯一死ぬまで僕らが所有できるのは、この身体、この命。それ以外は死ぬまで所有できる保障はどこにもない。逆にその所有物を守るために、重りになるものは所有しないほうがいい。まあアボリジニは身体と命すらもレンタルしていると考えられるからスゴいんだけど。
では具体的にどうしようと思っているかも書こうと思ったけど、疲れたので後日にします。
行くぜノマドライフ!(続く)
一陽来復
「一陽来復」(いちようらいふく)
冬が終わって春が来ること。
そして悪い事が続いたあと、ようやく物事が良い方向に向かうこと。
僕は冬が終わるあたりに、この言葉を使って、「これから頑張るぞ!」みたいな文章を書くつもりでいた。あくまで自分に対してこの言葉を使おうと考えていたが、まさかこれが日本全体になるとは思いもしなかった。
災害はまだ現在進行形。そして問題山積み。
だからといって、将来を悲観するつもりはまったくない。
なぜなら僕ら日本人に「希望」という概念が戻ってきたから。
この苦境を乗り切って、今までとは違う、新しい社会を作っていける。その希望。
下を向いて地面ばかり見ていた日本社会。
突然の大災害にノックダウンされてしまったが、
倒れたら広い空が見えた。
今、「もう一度」立ち上がる時。
「一陽来復」は、すでにきているのかもしれない。
iPhone事件:エラーナンバー1002の衝撃
先週末の夜、iPhoneを見ると、こんな画像が出ていた。
これiPhoneでエラーが起きた時の画面ね。
前一度なったことがあるからすぐにわかった。
こうなってしまったら、iPhoneをiTunesにつなげて、一度初期化しなければならない。もちろんデータは全て消えるが、その後iTunesのボタン一つで元通りに復元されるから、何も問題ない。
…はずだった。
しかし今回は違っていた。
iTunesで復元途中、最後のファームウェアの復元のところで、エラーが起きてしまうのだ。
「原因不明のエラーが起きました」みたいなダイヤログが出て、復元してくれない。
それでも僕はまだ慌てない。Macを使って10年以上、あらゆる事態を経験してきたので、このくらい序の口である。
とりあえずiPhoneを再起動させたり、つないでいるUSBをハブではなく、直接MacのUSB口に差し込んだり、試しながら対策をとっていった。
でもいっこうに解決しない。
とりあえずネットで調べて、アップルのサイトのトラブルシューティングを見てみる。エラーメッセージをよく見ると、最後にエラーナンバーがふられていた。ナンバーは「1002」。
その1002の部分を読んでみると、1002はiPhone内部のエラーであることがわかった。でもアップルのサイトには、それからの的確な対策が書かれていない。「このページの手順に従ってください」みたいなことが書かれているが、どの「手順」なのかよくわからない。
アップルのサイトだとラチがあかないので、キーワードでググって、他に同じエラーが出た人のブログや質問掲示板などを見てみる。
そこで初めて、エラーナンバー「1002」は絶望のナンバーであることを知った。
どのページを見ても、絶望的なことしか書かれていないのだ。相当なマニアと思われる人も、「修復不可能なので、お店に行きましょう」みたいなこと書いてあるのよね。
保証期間の1年を過ぎているので、交換は22800円。
ガーン。。。。
これを機にiPhone4にするか?と脳裏をよぎったが、それにはiPhone4の機種代5万円+今まで使ってた3GSの分割金も支払っていかなければならないので、すぐにあきらめる。
次の日の今日、起きたらすぐにアップルストア銀座の「Genius Bar」(←アップル製品の相談に乗ってくれるところ)にネットで予約し、電車で銀座へ向かった。
「Genius Bar」のスタッフに、エラーナンバー1002のiPhoneを渡し、昨夜と同じ作業をしてもらうが結果はやはり同じ。予想通り機種交換となる。
機種交換は、SIMカードを新しいのに付け替え、書類にサインしたらおしまい。一瞬だった。もちろんお金は22800円。ため息である。
帰宅後、Macにつなげて、iTunesでデータ復元。アプリもメールも写真なども全て元通りになるのはスゴい。
今回の教訓は、外に持ち出すモバイル系の製品、特にヘビーに使うiPhoneは、絶対にケアプランに入っておく、ということだ。仕事で使う僕みたいな人はなおさらだね。
今回は思い当たるような原因や、前触れらしきものは一切なし!
突然「1002」というエラーナンバーを残し、故障してしまった。
こういうことが起こるので、これからiPhoneを使う人も、参考にしてほしい。
そして、もうiPhoneを使っている人へ。
「1002」が出たらあきらめなさい。
以上おしまい。
高城剛という人
もともと業界内ではすごく有名な人だったけど、沢尻エリカを奥さんにしたことで、その名を日本中に轟かすことになった高城剛という人。
僕は彼に会ったことがないので、本当のところどういう人かわからない。しかし、彼のブログや記事等は見つけ次第必ずチェックし、「高城氏が発信する情報」には常に「聞き耳を立てて」いる。
なぜなら彼は、この未曾有の時代に「10年後の世界がわかる」数少ない人物であり、実際にそれを体現して生きている人だから。
とにかく彼の「先見の明」と「考え方」と「行動力」は常人離れしている。「最先端」という言葉があるが、彼は「最先端」の「先端」よりも前に出てしまうから、人々は彼を捕まえきれない=理解できない。だから怪しまれたり、批判や中傷されちゃったりするんだろうきっと。もちろん彼も人だから、言っていることが外れることもあるだろうし。
様々な活動をし、職業や肩書きを「明文化」できない働き方、世界各国を渡り歩き、定住の場所を持たない生き方。こんなパワフルで魅力的な人は、世界広しといえどもなかなか居ないと思う。そう、世間が彼をどう見て、どういう評価をしようが、僕の中で、彼は「魅力的」なのだ。
彼のような生き方は正直うらやましいし、いずれそれが世界のスタンダードになっていくのではないかという仮説も自分の中では立っている。
そんな彼が、初めて自分について語る本を出したので、早速買って読んでみた。
予想通り、とても興味深い内容だったし、面白かったけど、やっぱり先行き過ぎてわからないところがあった。
でもいずれわかるようになるんだろう。10年前の雑誌インタビューで彼が語っていた「よくわからないこと」が、今の「常識」になっているように。
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