【幸せハック】ありがとうの反対語
「ありがとうの反対語って何だと思う?」
という質問をしたのはJ-waveのDJだった。
僕はそれに反応して、いろいろ考える。
「ありがとう → ごめんなさい?」「ありがとう → このやろう?」「ありがとう → ありがない?」
答えが見つからぬうちに、DJが答えを言った。
DJ「ありがとうの反対語は『当たり前』ね!!」
あーなるほどね。
ふーん。
へー。
・・・・
「おおおぉぉっ!!これすごい真理突いてる!!!」
と時間差で、大感動(笑
「ありがとう」や「感謝」が幸せに直結するものだということは、経験から肌で感じてわかっていることだ。「感謝する」気持ちの中には、幸せの要素が凝縮されている。
「ありがとう」とは、漢字にすると「有り難う」で、
「有り難い」→「有ることが難しい」と考えることができる。
すなわち「ありがとう」とは、「有ることが難しいのに、有る、有っていただけている」ことを嬉しく感じ、それが幸せに繋がるのだろう。
そう考えると、「当たり前」が「ありがとう」の逆の言葉に当たることがよくわかる。
「当たり前」とは「幸せ」という観点から見ても、逆側にある概念だろう。
最初は「有り難い」ものも、長く付き合ううちに「当たり前」に変わってしまう。しかしそれを「自然の流れ」というふうにとらえてはいけない。それは「自然の流れ」ではなく、自分が「鈍感」になってしまった証拠だ。
何に鈍感になるのか、
まず「有り難い」ものに鈍感になる。
↓
感謝に鈍感になる。
↓
そして「幸せ」にも鈍感になった結果
↓
そのまま意図せずとも「不幸」な方向に向かってしまう。
例に挙げるとすれば、「うまくいっていない夫婦」なんかがいいかもしれない。
僕は男なので、男性のほうから考えると、初めて相手の女性と出会った時は、一緒に話せるだけで有り難かっただろう。一緒にデートできて有り難かっただろう。朝一緒に目覚めることが有り難かっただろう。彼女の手料理が最高に有り難かっただろう。
しかし一緒に暮らすにつれ、いつの間には全てのことが「当たり前」に変わってしまう。
そして感謝の気持ちが消えてしまうどころか、以前は有り難かった奥さんのお弁当の味とかにケチをつけ始め、勝手に不満のほうを積もらせていくのだ。そうなれば「有り難み」も「幸せ」もあったもんじゃない。責任を相手に置いた形での不満製造機にかわり、奥さんとの仲も「自ら積極的に」悪くさせてしまう。
これはもちろん夫婦関係だけではなく、「自分は不幸だ」と思ってる人はたいてい、この「当たり前」という鈍感病にかかっている。
題名に「幸せハック」なんて言葉をつけたのはここにある。
幸せを手っ取り早く、簡単に感じたいなら、まずは「感謝する」ことだ。「感謝する」とはどういうことかといえば、「有るのが難しいものが、有る」ことを嬉しく思うこと。
そう考えれば、「有るのが難しい」ものに囲まれて生活しているので、「感謝」に敏感になり、「幸せ」はすぐに感じられるようになる。
「有るのが簡単」なものなんて何一つないからね。
この飽食の時代に、「食事は感謝して食べなさい」と言われてもピンとこないけど、ご飯の米粒一つだって、農家の人が頑張って作ってくれなきゃ食べられないし、魚も肉も、そのものの命、一生をいただくってことだからね。これほど「有り難い」ものはないよ。そしてそれを料理して作ってくれる人がいるわけで、自分がテーブルの前に座っただけで、お弁当の箱を開けただけで、「有り難い」ものをいただけるなんて最高過ぎるでしょう。
つまり、そういう「有り難い」ものに囲まれて暮らしている僕らは、とても有り難すぎて、もう大変なんです。
までも年中感謝するなんて無理だし、人間なんだから、不平不満を感じるのは仕方がない。ただ、それで「自分は不幸だ」なんて思うようになったり、配偶者とトラブルになってしまった時とかには、ちょっと立ち止まって考えてみるといい。自分のために人が動いてくれること、親切にしてくれること、気を使ってくれること自体「有るのが難しいよな」と。
自分の近くにあるものほど「当たり前」になりやすいけど、それこそ最も「有るのが難しい」ものだ。
それをきちんと「有り難い」と感じていれば、幸せなんて簡単になれると思う。
というのが今回の「ありがとうの反対語」から導いた結論なんだけど、どうだろう?
これ最高の「幸せハック」じゃない?
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